生い立ち
その時に大衆演劇役者・月太郎氏と出会い、以後、父親の代わりとして育てられる。また大衆演劇座長である勝小竜氏の小竜の名前を頂き、竜小太郎の名が誕生する。その後、関西を中心に大衆演劇界の人気者になり、7才の時、初代浪花のチビ玉と呼ばれる様になる。また、10才の時、東芝EMIより「紅色恋歌」を発売。しかし、順調な活躍とは反対に、母親と一緒に居る時間がなくなり、孤独な生活を中学生まで送ることになる。中学校に入学すると、芸能事務所(株)アイエスにスカウトされ、1985年「必殺・ブラウン館の怪物たち」(松竹)で、メジャーデビュー。その後もNTV年末時代劇「源義経」、名古屋・御園座「水戸黄門」等、テレビ・舞台でも、幅広く活躍する。
また、1991年長野県下諏訪町で行われた舟木一夫コンサートに舞踊でゲスト出演したのをきっかけに、
舟木一夫と親しくなる。
その後、舟木も(株)アイエスに所属事務所を移籍する事になる。父、兄弟のいない小太郎は、舟木を本当の兄の様に慕い、やがて舟木自身も「俺の弟分」と言うくらいお互いを尊敬し信頼し合う仲になる。しかしその頃、小太郎の唯一の育ての親である母親が、21才の時に他界。小太郎は天涯孤独となる。
舟木一夫と親しくなる。
一方、役者としての小太郎は着々と力をつけ、自らの座長公演を行うまでとなる。